ここ城川で本格的に栗の栽培が始まったのは、まだまだ田畑の価値が絶大であった時代にさかのぼります。当時、数名の若い農家が貴重な田畑を壊し、新たな取り組みとして栗栽培に着目しました。はじめた当初は、周りからの奇異の目にさらされたと言います。
そんな逆風の中にあっても、果樹試験場等とタッグを組んで、根気強く続けた甲斐あって、栽培方法が確立でき、栗の産地と言われるまでに成長できたのです。
私たち城川ファクトリーにできることは、その先人たちの築かれた《和栗》という財産を、想いを、いろんな形で紡いでいくことだと思っています。